感想
ご機嫌と絶望が対面して座り、互いにボケたおしている。だのに、双方から話すことへの誠実さが感じられて、誰かとお喋りしたい気持ちがじんわりと湧いてくる。
特に本書は、「会話」の本でありつつも、その実、「どう生きるか」について書かれた本でもある。例えば「他人と関わることに絶望して、それでも他人と関わりながら生きていくことを引き受け(p.249)」るというのは、かつて読んで号泣した「コイコワレ」を彷彿とさせる。本書でも触れられているが、結局のところ、自分のコントロール下には自分しかいない。だからこそ、苦しみを引き受けてでもご機嫌にお喋りすることで、周囲も自然とほがらかになり、結果としてのびやかで幸せな会話ができるようになるのだ。
ここで素晴らしいのは、こうした幸福へたどり着くために、「会話」を2段階に分けているという点である。1つ目は、個人的なことを排除して「どうでもいいことを話す(p.65)」段階。そして2つ目は「黙って想い、考えたすえ、どうしてもこぼれ落ち、相手に伝わることば(p.252)」を話す段階である。
「会話」という概念は、ややともすると様々な要素を一緒くたにされてしまいがちだ。「会話術」について書かれたビジネス書では、あたかも会話に唯一絶対のコツやテクニックがあると勘違いさせる文章が散見されるが、実際はケースバイケースばかりである。だからこそ著者は、絶対的なものを伝授せず(そもそもそういう技があるとも書かず)、「どうでもいいこと」と「相手への想い」という相反する存在を、いずれも大切なことだと書いている。こうした「矛盾を御さずにそのまま受け入れる」姿勢に気骨を感じ、本書を信頼できるようになるのである。
また、「他人を裁いてはいけない(p.105)」と断言している部分も良い。思い出すのはイリナ・グリゴレ氏&小川君代氏の対談イベントで耳にした「ジャッジしない」という言葉で、安易に何かを決めつけない態度が、衒いのないまっすぐな文章を生み出していると言っても過言ではない。やっぱり私は「まっすぐ」に弱い。どれだけ装飾を施そうと、どれだけ巧みにレトリックを使おうと、まっすぐな文章に優るものはない。本書内の文字は大きく、行間も広く、普段小説を読んでいる身からするとスカスカとも思えるほどである。しかし、それでも文章がまっすぐだからこそ、私の胸を打ち、読後もぐわんぐわんと余韻が残るのだ。そう、素直が一番なんだよ。
そんなわけで、思いがけず良書に出会った(本書は図書館でたまたま借りた)。もちろん、会話パートが妙にサムかったり、タイトルの割には「会って」の部分があまり語られていなかったりと、多少気になる部分もある。とはいえ、そうした違和感も一旦受け止めて理解しようと思えるくらいには、私は本書のことを良い本だと思っている。会話パートのサムさは、ある意味「ツッコミが悪」であることの証左だし、「会って」の部分が語られていないのは、執筆当時の社会情勢(コロナ禍)を反映した結果であると捉えられる。
ともかく、ご機嫌な本書を読めて良かった。お喋りが好きだからこそ、大事な人がいて、その人と言葉をたくさん重ねたいからこそ、最小単位の絶望を引き受けながらご機嫌でいたいのだ。こう考えると、本書は私の人生とべったり交わっている。もしかすると本書は、会話で幸せになりたい人に与えられたバイブルなのかもしれない。本書を読む人が増えることで、「どうでもいいこと」も「相手を想うこと」も話せるような素敵な世界に少し近づけるのかもしれない。知らんけど。
余談
ね~~~~む~~~~い~~~~!!!!!
でも、書かなきゃ絶対に熱が冷めちゃう!!!!!
やばい!!!瞼が重い!!!!!
ね~~~~~む~~~~~い~~~~~!!!!!!!!
本書は、こんな感じで、深夜1時前に書き終えた。おやすみなさい。
