両膝を怪我したわたしの聖女

両膝を怪我したわたしの聖女

アンドレア・アブレウ, 村岡直子, 五十嵐絢音

国書刊行会

感想

 起承転結ならぬ、起起起転。帯の言葉通り文体は決壊しており、登場人物の年齢に似合わない頽廃っぷりで、読んでいると意識が朦朧としてくる。相変わらず、イベリア半島の作品は読むのに骨が折れるよ……。

 なんとなく、ヒップホップでの「リアル」という言葉を思い出す。自身の生きる環境を、自身の言葉で紡ぐプロセスが、本作と似ている。そこには親友イソラへの濃縮された感情があり、夏休みにどこへも行けない鬱屈があり、早熟で危うげな官能があり、それらが要約不可能な言葉たちによって語られているのだ。

 とはいえ、読むのが苦しかった。とにかく読みづらく、文章を味わう余裕が全くない。それでいて日常物のように展開なく水平に物語が進むから、ゴールの見えないマラソンを走り続けているような気分になる。蓋し本作を読んでいた環境が、通勤/退勤の電車内だったのも良くなかったのだろう。本作の楽しむためには、た~っぷりと時間を取る必要があったのだ。

 それにしても、本作のような日本から遠く離れた国で、ポケモンやハム太郎が登場するのは不思議な気持ちになる。「盆栽/木々の私生活」しかり、隔てているからこそ、全くの異世界の存在として捉えられるのだろう。私にとっての本作と、本作にとってのポケモンやハム太郎はある意味で鏡映しであり、双方の視点から眺めることによって見えてくるものもあるのだろう(今のところ私は何も見えてないけど……)。

 ……こんなところだろうか。正直、よく書いたほうだと思う。一段落目以外は、めちゃくちゃ絞り出して書いた感想であり、実直なものではない。そのくらい、本書はわけがわからなくて、何も思いつかなかった。ただ、わからないものをわからないまま一旦眺めてみること(ネガティブケイパビリティ)は大事なので、それで良いのかもしれない。