ジャクソンひとり

ジャクソンひとり

安堂ホセ

河出書房新社

感想

 展開がシームレスに移るせいで、見せ場にあとから気づき、拍子抜けした感が否めない。「あ、山場ってあそこだったの!?」「あ、もうこの話終わり!?」といった気持ちになることが多く、特段展開が早いわけでもないのに、置いてけぼりにされた気持ちになる。

 また、感情の起伏が平坦だったのも物語に入っていけなかった要因の一つである。ややこしいのは、登場人物の感情が描かれていなかったわけではないということ。ジャクソンを始めとして、黒人ミックスの彼らは、何事に対してもある程度の諦念を抱いている。ゆえに、どんな出来事が発生しても過度なリアクションにならず、ややともすると読者たる私はするするとあっさり読み進められてしまうのだ。

 これに関しては、何も考えずにさっくり読んでしまう私が悪いし、そもそも小説全般に起承転結やわかりやすい興奮を求めることが間違っている。純文学は得てして疑問符が浮かぶ作品ばかりだし、むしろそれが魅力でもある。小説をわかりやすく楽しみたいのなら、大衆文学を読めばいいだけの話だろう。

 ただ、本作の内容にはどこか既視感を覚える。「ニグロと疲れないでセックスする方法(藤原書店)」だ。当作は確か、ジョゼフ・コンラッドの「闇の奥」のようなステレオタイプなネグリチュードを脱する作品だったはず。「ジャクソンひとり」についても同様の印象を抱き、ステレオタイプな黒人観と確立した個人の淡いで揺れるジャクソンたちの物語だと私は読んだ。

 その上で結局、私の感想は「よくわからない」になる。たぶん、本作は取り立てて何かを主張していないのだから、その感想で良いのだろうけれども、記号接地してくれないもどかしさが読後感にあり、これを書いている今も、なんだかずっともやもやしている。

 とはいえそれは文学としての質の高さを示していると言えるかもしれない。どこで見聞きしたのか忘れたのだが、私は「心がざらつく経験が大事である」というフレーズがあるときから頭にこびりついている。この点で考えると、本作は十分私の心をざらつかせてくれた。

 「当事者じゃない奴が言う『黒人』って言葉が(p.145)」「耳にすっごい障る(同頁)」ことに、私は絶対に共感することはできない。しかし、そうした揺らぐことのない隔絶を目にしてようやっと、相互理解が始まるのだと私は考えている。もちろん本書とインタラクティブに会話することはできないけれども、その足掛かりとなる気づきを、少なからず得られたと思う。そういう意味では、本書は私にとってかなりインパクトの大きい作品だったと言える。

 感想文を書いていくうちに評価が二転三転する作品は良作である。「みえないもの」で書いた「ジャッジしない」が、本作にも存在しているからこそ、私の感想も同様に、断言されないものとなるのだろう。