聞く技術聞いてもらう技術

聞く技術聞いてもらう技術

東畑開人

ちくま新書

感想

 結局のところ、聞いてもらう技術のポイントは、気まずい時間に少し耐えて、一緒に居ることにあります。

p.132 聞いてもらう技術 小手先編

 本書を読んでいて途中まで、一体全体どうして社会は個人主義へと進んでしまったんだい? と思うことが少なくなかった。聞くにせよ、聞いてもらうにせよ、当人が孤立(≄孤独)していてはならず、つまり何らかの安心できる連帯を持っている必要があるのだが、その在り方は個人主義とは対を成しており、一昔前の集団行動に近いものを感じた。だから、聞く・聞いてもらうが必要とされる現代において、逆説的に、どうしてそうすることが難しい個人主義へと進んでしまったのだろうと感じたのだ。

 しかし、一昔前の集団行動と、最近求められている集団は、構成員が「同じ苦労をシェアしている仲間(p.177)」かどうかという点で全く異なる。前者は家庭や会社など、社会的な組織単位での集団だったが、後者は自助グループや読書会などのコミュニティである。「今では世間があまりに細分化されていて(同頁)」「他者の世間に触れると、指が切れて、チクっと痛みが走(同頁)」るからこそ、社会的な組織でなく、似た苦労を共有したコミュニティが求められるのだ。

 たぶん、こうしたグループやコミュニティで聞く・聞いてもらうを実践できた先に、異なる他者との交流があるのだろう。私は最近「世界 2025年9月号」にて、どうすれば余裕をもてる社会になるのか、疑問を書いたが、ここには一つの解答があるように思う。ルポで参政党を熱烈に応援していたあの支持者も、自身の苦労を共有できていないからこそ、あそこに辿り着いたのではないだろうか。楽観的な話かもしれないが、もし彼の身近に自助グループやコミュニティがあったならば、参政党の応援だけで愛知県から埼玉県へわざわざ来なかったと思うのだが、どうだろう。

 とはいえ結局、彼がそうした自助グループやコミュニティに辿り着けるかどうかは、周囲の聞く・聞いてもらう技術に懸かっている。であれば、少なくとも私の周囲では、そういう人が現れないように、聞く・聞いてもらう技術をもって他者のことを気にかけられるように在りたい。著者曰く「お金がグルグル回っているのが善い経済であるのと同じで、ケアも人と人との間をグルグル回っているのがいい(p.140)」そうなので、私が周囲の人の話を聞き・聞いてもらえば、きっとそれはお金のようにぐるぐる巡り、やがてあの支持者のもとにも届くのではないだろうか。そうなると信じて、「気まずい時間に少し耐えて、一緒に居ること(p.132)」こそが、より良い社会への第一歩なのだろう。

 本書は、聞く・聞いてもらうための実用書に留まらない。リソース不足と断絶を極める現代社会の根本的な課題を露にしており、それに対処するための聞く・聞いてもらう技術を解説しているのだ。「居るのはつらいよ」と同様、結局のところ継続でしかケアは存在できないし、結果も現れない。だからこそ、聞くことも、聞いてもらうこともできるように、「なんかあった?」「ねえちょっと聞いて」という最初の一声を、いつでも心に留めておきたいと思う。