感想
杉森くんも生きるために必死だったんだと思う。だけどわたしは傷ついた。
p.260
人生の諸事は、そうシンプルなものではなく、九龍城塞のように複雑に入り組んでいてもはやその全貌はわからない。ゆえに客観なんてほとんど存在できず、それぞれの視点からの主観でしか物事を判断できない。だからこそ、杉森くんが生きるために必死で広瀬結愛を頼るしかなかったことは仕方ないし、一方で広瀬が傷ついたと感じることもまた事実なのである。
このような、ひとつひとつの事実を、たとえそれらが矛盾するように見えたとしても、そういうものだとして受け止めることは、かなり難しい。引用した例では、前者を通すと、広瀬が重責を背負い続けることになりかねないし、後者を通すと、自身の傷ばかり注視して今度は広瀬が誰かを傷つけてしまいかねない。どちらも、相反しながらもそれ自体はいずれも事実であるがゆえに、一方だけを押し通そうとすると、抑圧されたもう一方が叫び声をあげだすのだ。
本作は、そうした自己矛盾を整理してアウフヘーベンしていく物語として、非常にうまくできている。先に引用した文章が最たる例だが、他にも素晴らしい点はいくつもあるのでここに挙げておきたい。
まず、主人公の視点を追体験しているところが良い。人間関係を巡る物語は、俯瞰で見ると冷めた目で見てしまいがちである。全体像がわかっていると、どういう行動が最適解かわかってしまい、紆余曲折を経る登場人物たちを焦れったく思ってしまうからだ。
本作はその逆で、視点人物である主人公の持つ情報が限られており、読者は彼女と同じ情報量で作品を読んでいくしかない。例えば、塩野という人物は、主人公の視点から見れば、キラキラグループに入っている人という認識でしかないが、良子の視点ではかつて腐女子仲間だった人という捉え方になる。主観での物語は、こうした多面的な情報のうち一側面しか読むことができないものの、一方で視点人物の思考プロセスを十全に理解できるため没入感があり、結果として物語に説得力を持たせることができるのだ。
しかも、本作においては「わたし」として語られる言葉が必ずしも真実とは限らない。「わたしはうそをつくところがある。/だからわたしの言葉をみんな鵜呑みにしないでほしい。(p.52)」という独白がある通り、それまで語られていた主人公の物語は、突然根底からひっくり返されるのだ。思考がぐちゃぐちゃで整理できていない視点を追体験する上ですごく効果的だし、かつミステリーのようなわくわくを不謹慎ながら覚えるという点で、説得力と面白さどちらにも秀でている構成なのだ。
また、主人公を中心に、登場人物が素直なのも素晴らしい。先に挙げたキラキラグループの塩野は、かつて腐女子仲間だった良子との縁を自ら切っており、一見するとすごく意地の悪い人のように思える。しかし良子と主人公は、彼女がキラキラグループに入るために行っているであろう努力に想いを馳せることで「背中おしてやらなきゃかわいそーじゃん?(p.117)」、「尊敬に値する(p.118)」と、素直に彼女の意志を尊重しているのである。他者を思いやる気持ちは、読むだけで心地が良く、自殺を巡る重たくなりがちなテーマを、良い意味で柔らかくしているのではないだろうか。
ともかく、本作はお話教信者の私にとって垂涎ものの作品だった。現実に存在する他者のみならず、自身の内側に存在する「リトル○○さん」とも丁寧に対話することで、自身が何に苦しんでいてどうすれば良いのかを徐々に明らかにしていく。靄がかかったような状態から、少しずつ明らかになっていく数々の描写は、「ヘブン(川上未映子)」を思い出す内容で、人生の複雑さと、アウフヘーベンと、素直な心が多層的に重なった素晴らしい一冊だったのだ。
余談
こんな歯の浮くようなことを書いて本作を賞賛したかったんじゃない!!!!
この作品は、本っ当に良かった!!! ただそれだけ!!!
じゃあ、どうしてこんな文章になってしまったのか。
引っ越しに関する諸々で疲れてるんです!!!!!!!!
もう~~~~~~疲れた!!!!!!!!
バタバタしているときに読んだせいで、満足に感想文を書けなかったのは残念だったけれども、とはいえ素晴らしい作品に出会えたのは本当に幸運である。落ち着いたら、ゆっくりと読み返したい。
