漂砂のうたう

漂砂のうたう

木内昇

集英社文庫

感想

 重厚な長編を、久々に読んだ。アドレナリン中毒にさせられている昨今の作品は、1文目、果ては1文字目から強烈な印象を残そうと躍起になっている。対して10年以上前に執筆された本作は、立ち上がり穏やか、展開もじわじわと進んでいく形で、じ〜っくりと読ませてくる。

 素晴らしいのは、一度も冗長だと感じなかったことだ。どれだけ面白い作品でも、中だるみすることはままある。ところが本作は、厚みのある長編にもかかわらず、序盤中盤終盤全てにおいて緊密で、だれることがない。結果、根津遊郭の世界観をたっぷり味わいつつ、最後まで予想もつかない展開に、心を踊らせることができたのだ。

 それでいて内容も凛としていて、一本芯が通っているから読み応えがある。いや、主人公の定九郎は9割くらい鬱々としていて時にじれったく思うこともあるが、小野菊花魁の屹立した姿の眩しさを引き立てていて、ゆえに物語全体が引き締まっているのだ。誰にも支配されない花魁、それは遊郭から華々しく送ろうとする龍造に対しても同様の態度であり、如何様にも支配を受けずに「自由」の生き字引となるその姿には迫力が宿り、根津遊郭のみならず、御一新によって変わってしまった世の中全体を引っ張る気品と風格を漂わせている。

 こんなに書いておきながら、小野菊花魁の登場する場面はそう多くないのだから面白い。それほどまでに彼女の姿は鮮烈かつ印象的で、自由という言葉が当たり前に存在する現在でも、いやむしろ現在だからこそ、より強く読者の目に映るのである。

 もちろんこれ以外にも魅力的なキャラクターがたくさんいる。というか、全員もれなく良い。御一新があったから、あるいは根津遊郭という遊郭にしても本式でない中途半端なところに身を置くしかないからか、皆何かしらの屈託を抱えている。それぞれ抱える過去があり、それらは蓄積されたり漂砂のごとく流されたりして、様々な人々の間を行き交っている。この人間模様をじっくり味わえるのも本作の魅力であり、一人一人は取り立ててすごい人間ではないのだけれども、それらが集まることによって、当時の世相や空気感を肌に感じることができるのだ。

 それにしても、ポン太はどうして定九郎に目をかけたのだろうか。と、書きたかったのだけれどもそろそろ寝る時間(23:35)。最近職場環境が変わり、フル出社になって、かつ弁当を朝に作っているので、そろぼち寝ないとまずいのです。というわけで、私の疑問はまたおいおい読み返しながら考えるとします。

 ともかく、こつこつ読み進めるのが楽しかった、最近はあまりみない逆に新鮮で良い作品でした。おやすみ。