
ノルウェイの森 上
村上春樹
講談社文庫
感想
喪失と孤独と回復。そういう題意は容易に汲み取れるし、各登場人物がコミュニケーションを取り、会話をし、自己開示をして少しずつ歩み寄ろうとする姿が丹念に描かれているのも良いと思う。ハン・ガンを始めとした韓国文学ではそんなテーマの作品が多くあり、静謐な文章が、読者の抱えた傷をゆっくりじっくりと癒してくれるのだ。
ただ、こと「ノルウェイの森」では、主人公が、キモすぎる。言葉を選ぼうとしても、これしか出てこない。もう、本当に、キモい。海外文学の影響をモロに受けた気障ったらしい言葉遣い、他人の住所を調べ上げるほどの粘着気質、「やれやれ」を始めとしたなろう系主人公のような言動、すぐ女性と寝る軽々しさ、その全てがとにかく気持ち悪い。こんな主人公に、一体誰が感情移入できるというのだろうか。
しかも、これほどまでに主人公がキモいのに、彼を取り巻く女性たちがおしなべて彼に好意を寄せているのもまた作品のキモさに拍車をかけている。そんなわけないじゃん。上記のような人間が、周囲に好印象を与えられるわけないじゃん。ジョイマンもびっくりの「なんだこいつ~~~」な奴だよ。あまりにもご都合主義、作者の見えざる手が見えまくりで、せっかくのテーマが台無しである。
もしかしたら、時代なのかもしれない。確か『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史』では、全共闘の時代の反動で、シニカルでノンポリなしらけ世代が出現したとある。本作の主人公もまさにそうした人物像であり、当時の空気感を色濃く反映したのかもしれない。「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」では、「痴人の愛」は当時のサラリーマン世代に刺さるように書かれたとあるが、本作も同様に、刊行当時はこの主人公に共感する人が多くいたのかもしれない。
とはいえ今は令和の世である。冷笑は何にもならないと看破されて久しい時代であり、本作の価値観は風化してしまった感が否めない。テーマ自体は普遍的であり、村上春樹はそれにどう解答するのかは気になるので下巻も読むつもりだが、苦しい道のりになることは想像に難くない。キモさの先にある光明を、どうにか見出したい次第である。