感想
面白くない。だけど、「言語化するための小説思考」を読んだ私は、1)なぜこれが私にとって面白くなかったのか、そして2)どうして大衆には絶賛されているのかを考えたい。
まず1)については簡単に答えが出る。カタルシスが少ないのだ。例えばSEVEN ROOMSでは物語の中盤で、主人公の閉じ込められた部屋は7つ連なっており、毎日一人ずつ殺されて部屋々々を貫く排水溝で死体が流されることが明かされる。設定としては面白いのだが、物語中盤で明かされる秘密としてはパンチに欠ける。
というのも、冒頭からコンクリート四方の部屋に閉じ込められるという極限状態が描かれる以上、その状況を少し発展させたものを種明かし的に伝えられても変化が少なくて物足りない。それに、この犯行現場の所在や犯人の素性は一切明かされていないため、どんな建造物だろうと許容されてしまい、「まあそうなんですね」と納得するしかないのである。
つまり、ディティールが少なすぎて、作家の都合でどうとでもなってしまうのである。これは先のSEVEN ROOMSに限らず、どの短編でもそうで、いわば複数の手が存在する詰将棋を問いている気分に近い。どんな展開も、そうなるしかないと思える状況にないからこそ、私は物足りなく感じるのである。
では、次に2)どうして大衆には絶賛されているのかについて考えたい。
ぱっと思いつくのは、発想の奇抜さである。ZOOなどは顕著で、自身の殺人を他殺だと思い込んで存在しない犯人を捜索する倒錯した男性が主人公である。先ほど「作者の都合でどうとでもなる」と書いたが、その裏返しのように彼の着想には突飛な要素が少なからずある。この誰も思いつかない新奇性に、読者は目を引かれるのではないだろうか。
次に、作品を引っ張る力である。乙一氏は、文章が端的で読みやすい。これはある種「ディティールの少なさ」の裏返しであり、癖のない文章は引っかかることなくすらすら読めて、それが結果的に緊張感の維持に繋がっているように思う。物語の外の要素で詰まることがないから、読者は安心して没入していけるわけだ。
以上を踏まえると、乙一氏は序盤中盤に優れてはいるものの、終盤力に欠けるスピード型のファイターであることがわかる。赤坂アカ氏や今村翔吾のような、導入から中盤にかけてのわくわく感を演出する分には優れているのだけれども、それを上手くまとめて終わらせるという段で、作者のご都合主義や投げやりさが露呈し、肩透かしを食らった気分になるのだと思う。
ほんの少しだけ、乙一氏への理解が深まった気がする。というか、「言語化するための小説思考」が良すぎる。つまらない感情を受け止めつつ、自身の価値観を捨ててなぜ人気なのか・売れているのかを考察すると、時間の無駄と思わずむしろ有意義に思えてくる。いや~良い本読んだねえ。
