エレファンツ・ブレス綺譚

エレファンツ・ブレス綺譚

吉田篤弘

春陽文庫

感想

●エレファンツ・ブレス綺譚

「豊か」とは、見えないもの、存在しないものに想いを馳せることと見たり。いや、もう少し厳密に言えば、見えないものと見えるもの、存在しないものとするものの間を行きつ戻りつする中で考え浮かぶ淡いこそが、豊かさの正体のひとつなのだろう。

 本作は、こう考えるに至る様々な要素がみっちりと、されど味わい深い形で詰め込まれている。内側はふわふわで外側はさっくりとしたトーストしかり、吸うときは無色で吐くときには白い息しかり、圏内と圏外を示す携帯電話しかり、装幀を手掛けつつも文章を書いてみようとする主人公しかり、そこかしこに豊かさのモチーフが存在している(種々の要素を私が「豊かさ」という言葉で束ねているだけだと思う)。

 物語として連なっているものの、モンタージュ的に繋がれたそれらの要素が触れ合うとき、そこには「間」が生まれる。いわんや行間とも言い換えられるのだけれども、そこに広がる空間は果てが見えないほど深く、万華鏡以上に華やかである。短篇、わずか60頁の奥行に身も心も沈めて、じっくりと深呼吸できる本作に、私はやはり「豊かさ」を想起するのである。

 余談だが、本作を読んで、私はある友人を思い出す。ティーアドバイザーの資格を取るほど茶を愛好しており、茶器を揃え、英国のコートを着、アイスランドやバルト三国へ旅に出かけ、SNSはほとんど見ない友人。本人の気持ちはいざ知らず、私は彼を見るにつけ、豊かだなあと感じ入るのである。

 話を戻して本作に照らすならば、私目線で彼は、見えるものと見えないもの、存在するものとしないものの間にいるのだと思う。実存に囚われず、のびやかかつ軽やかに広がっていく豊かな心を持っているように見えるからこそ、私は彼を友達として良いな~と思うのだろう。

 ともかく、本作は豊かである。こうして言葉に書くと、途端に陳腐になるのだが、まあ、仕方ない。この際言葉なんてどうでもいい。本作を読んでしみじみとした感慨を覚え、友人のことやその他色々と思い出したり考えたりしながらこの感想文を書いている今この時間が、ただただ幸福なのである。

 年末年始の連休初日に本作を読めたのはあまりにも幸運である(※本章を読んだのは2025/12/26)。おいしいワインを飲みつつチョリソーをつまんで読めたのもまた、幸いである。なんだかいつもより、万物への感謝の念が強くなっている。色々と、有難いなあ。ほんと、有難い。

●一角獣

 如何せん期間をあけてとびとびで読んだため、記憶が断片的になっているが、とはいえ良い。理由は「エレファンツ・ブレス綺譚」とほとんど同様。物語の大筋よりも、ゆったりとした雰囲気が良いのだ。結末こそ、Mとともに生きると決意した氏が雷雲へ向かうという激しめの終わり方だったものの、そこに行き着くまでは、短篇なのにじっくり描かれていて沁みわたるように読める。

 思い出すのは「涵養」という言葉。最近「世界 2026年1月号」を読んで知った言葉だが、本作にぴったりと当てはまるのではないだろうか。じ~んわりと心に入ってくる雨水のような作品、それが「一角獣」である。

 それから、「バランス」という言葉がはっきりと登場するのも印象深い。同じく「世界」の「いいとこ取りはできない」を読んだこともあってか、以下の言葉が胸に迫る。本作がまったりしていてもふやけた作品にならないのは、種々様々な価値観が極端にならないようバランスを取ろうとしているからだろう。緩さと厳しさのバランス感覚なのだ。

 この世界のほとんどはバランスを失って血を流している。

p.92

●百鼠

 「帰って来られないのは駄目なんだ。これは全てに言えることだが、行くだけならどんな所へだって行ける。帰ってくることに意味があるんだよ」

p.207

 こういう冒険譚、好き。もちろん向こう見ずな冒険も好きだけど、最終的に帰ってくるという安心感が、吉田篤弘的まったり物語には心地よい。結構突飛なファンタジーなのに、主人公イリヤが貧乏なりに丁寧な暮らしをしているから、親しみやすいし馴染みやすい。

 いや、丁寧な暮らしというよりも、吉田篤弘が生活の要素を拾い上げるのが上手いというのもありそう。黒パンの六枚切りだったり、冷蔵庫の残り物でつくるほうれん草とベーコンのリゾットだったり、仕事帰りに立ち寄る大工の「自分でつくる出窓」コーナーだったり、ひとつひとつが具体的だからこそ、質感・手触りまでもが伝わってくる。

 バラバラなようでいて、どこか繋がっている。「間」を描く吉田篤弘氏だからこそ、たくさんの具体をまとめ上げ、抽象的で奥行きのある描写を創り出すことができるのだろう。

 ……とまあわかったような気で書いているから注記しておくが、結局のところ「なんか、好き」というのが一番の感想である。上記の言葉はあくまで後付け。読後の第一感は、「あぁ~、ええなあ」である。そういうじんわりくる感じ。いやほんと、ええ感じなんよ。