「春秋」うちあけ話

「春秋」うちあけ話

大島三緒

日本経済新聞社

感想

 アフォリズムが苦手だった。短い言葉で世相に切り込む様子は昨今のSNSにおける「論破」のようで、なんとも嫌な苦みがある。当単語の正確な意味を理解していないのであくまで雰囲気ではあるものの、敬遠していたところはあった。

 「春秋」がその印象を一変させてくれたと言って良い。最近になって日経新聞を読み始めたのだが、どの記事よりも「春秋」が面白い。著者自身も言うように「入念な仕込みをほどこしてあって、盛り付けにも神経が行き届いてい」たコラムが毎日掲載されており、日々の滋養強壮となっている。

 本書は、そんな極上の小鉢をつくる料理人による特別ブランチのようなもので、質の高い文章を200頁以上なが〜く読めるのは最高の贅沢である。日々の「春秋」同様、ユーモアとペーソスが効いている上、ですます調の柔らかな文章なので胃にも優しい。

 そして何よりも、普段の「春秋」では語られない、一面コラムとしての哲学に触れられているのがまた味わい深い。「大文字」と「小文字」のオピニオンから始まり、情理のバランス感覚や1W1Hの心得、白っぽさと黒っぽさ(やまとことばと漢語)の関係まで、1記事500文字の小さな器の中に、溢れんばかりの創意工夫が注がれており、感服するばかりである。

 ここで私が注目したいのは、バランス感覚である。「エレファンツ・ブレス綺譚」でも書いた通り、良いバランス感覚、あるいはそれを模索し続けることは、豊かさを生む。「春秋」におては、大文字 / 小文字、感情 / 理屈、白 / 黒、ユーモア / 真面目など、様々な側面でどちらにも傾かない丁度良いポイントを探している。

 そうすることで、各要素の「間」が耕され、豊かな文化的土壌を生み出すことができるのだ。極論に突き進んだ場合の、危なっかしい鋭さはなく、丸っこくて柔らかいながらも、しっかりと芯の通った文章が生まれる。一朝一夕で書けるものではなく、だからこそ栄養がたっぷり詰まっているのである。

 やっぱり、アフォリズムと「論破」文化は違うのだろう。後者が生煮えな中途半端なものであるのに対し、前者はしっかりと月日を経て熟成された一品だ。見た目は同じだが、中身は全く異なる。私の舌は極めて庶民的で、値段の高低を判別できないのだけれども、文章においては、格付けチェックのGacktよろしく見分けられるようにありたい(GacktのSNS上で披瀝しているネオリベ的思想には目を背けつつ……)。