感想
「ナショナリズムとは何か」を読み終えたときと同様に、本書を通して、保守主義というものがよくわからなくなってくる。今までいかにこの言葉をイメージで使っていたか。そしてそのイメージがてんでまとはずれで、ナショナリズムや排外主義と一緒くたになっていたことか。単純明快な表題から、はっきりとした答えは出ないのだけれども、私の偏見や思い込みに多少は自覚的になれたという点で、読めて良かったと思う。
そもそも、英米で保守主義の源流の質が全く異なるのだから、よくわからないのも当然である。イギリスの保守主義が、名誉革命によって確立した議会制民主主義の伝統を文字通り保守し、急進的な改革を拒絶したのに対して、アメリカのそれは、イギリスのような拠って立つ伝統がないがゆえに、市場化や民営化に対してむしろ急進的でもあるのだ(pp.126-127)。
加えて、日本での保守主義はそもそも守るべき政治的な「伝統」が存在しない。丸山眞男や福田恆存が指摘するように、明治維新から戦後まで、思想的な連続性が存在しないために、明確な伝統が形成されなかった。あるのはただ漠然と進歩を信じる「進歩勢力」か、ズルズルと現状維持を好む「保守勢力」だけなのである(p.158)。(ゆえに、日本で保守かリベラルかと論じるのは不毛に感じた。そもそもないものを軸にしても話は進まない。「保守主義」に拘るよりも、「何を守りたいか」という補助線が大事なのだと思う)
このように、それぞれの国の持つ歴史的背景が異なるため、画一的な「保守主義」というものは存在しない。しかし、その思想の根底には、ひとつだけ共通するものがあるように感じられた。
それが、「孤独」である。
イギリスのエドマンド・バークによる保守の出発点には「恐怖や孤独と深く結びついた個人の自意識や、その内部における分裂や葛藤(p.28)」がある。一方でアメリカの保守的な「福音派」の行うテレバンジェリストやメガチャーチの根底にも、「世俗化し、個人化した現代社会にあって、自らの精神的拠りどころを求める人々の切実な欲求(p.121)」がある。
つまり、保守主義の保守する対象の本質は、「孤独を癒す拠りどころ」ではないだろうか。だから崇高で超越的な価値(=拠りどころ)を重んじ、それを転倒させようとするリベラルに対峙するのだろう。具体的に行われる政策の内容が保守的だろうがリベラルだろうが、抽象的な行動原理は蓋し、いかにして孤独を癒せる拠りどころを守っていけるかということに帰結するのだろう。もちろんこの考えが絶対的に正しいというわけではないが、保守主義について考える際の補助線にはなりそうである。
と、ここまでが私の理解である。保守主義の諸相は国によって全く異なるので、本質を掴もうとするのは難しいが、バークに端を発し、アメリカや日本に渡るまでの歴史を数々の知識人・政治家・思想家とともに概観できた点でたくさんの学びがあった。
ただ、著者が著名人を恣意的に保守へカテゴライズしようとする姿勢には疑義を覚える。オークショットしかり伊藤博文しかり、そもそも保守 / リベラルという軸で考えていないような人たちの言葉尻をあげつらって保守の可能性があると主張する。結論ではどちらとも言い難いといったことを書いてはいるものの、印象操作の感があり少し心配になる。当たり前だが、書かれた内容を全面的に信じることがないよう改めて臍を固めた次第である。
追記
保守の想定する「多様性」がよくわからない。英米の保守の要諦にはいずれも「多様性を包摂する」とある。始め私は石破前首相の発言した「保守の本質は寛容である」と結びつけて納得していたが、この「寛容」とは一体何なのだろうか。急進的なものは認めず、多様性は包摂するという在り方のイメージがつかない。課題として書き残しておく。
