感想
リベラルの要諦は、1)どの領域に2)どれくらいの福祉を3)どのように分配するのかだと読んだ。自由放任主義から始まり、古典的自由主義から右派との種々の対立を経てリベラルとなり、今もなお議論されるその思想は結局のところ、限られた資源をいかに平等に分け合うかという問題に行き詰る。分配の対象はその都度変わるから、安定した支持層を持つことができず、結果的にリベラルそのものも中々浸透しないのだろう。
それにしても、リベラルと保守は手を取り合うことはできないのだろうか。リベラルの課題には、市民の、福祉を実行するための税徴収への理解がある。しかしアメリカやイギリスのように福祉による分配の水準が低いと、一部の人間だけが得をしていると見做され、排外主義的な差別が横行する。
対して保守主義は、根源的な孤独を癒すために連帯する一方で、「何かを保守する」という思想において政策的解決能力に欠けている(という印象が私にはある)。「ナショナリズムの陽動理論」に見られるように、保守主義はしばしばナショナリズムやポピュリズムと結託して市民の不満を逸らそうと試みる。
蓋しリベラルと保守は互いに欠けたところを補えるのではないだろうか。リベラルは保守の連帯を、保守はリベラルの福祉(=市民に具体的に働きかけるところ)を見習うことができはしないだろうか。
これまで3冊の中公新書を読んで感じたのは、ナショナリズムにせよ、保守主義にせよ、リベラルにせよ、言葉の認知度とは裏腹に内包する意味が多様であるということ。大枠では対立しているのだろうが、解像度を上げてみれば実は似ていたり背中合わせになっていたりする。ならば為すべきは対立でなく、より良い社会にするための政策の検討ではないだろうか。
「右も左も国を想う心は一緒」というのはよく聞く話だが、これまでの3冊を読んで改めてそう感じた。商品において大事なのはラベルではなく中身である。このことを努々忘れず、政治、特に福祉について学び、考えていきたい。
