感想
意外にも勧善懲悪ものに近いストーリーで、冒頭の息苦しさからは想像もつかないほどのトゥルーエンドを迎えたように感じる。団結し、ストライキを起こし、ブルジョワジーを転覆させんと行動する労働者たちの姿は、同じく日々資本家にこき使われている会社員の私から見れば痛快だった。
一方で、不気味さも残る。本作は冒頭から労働者たちに名前がない。替えの利く人材として表現されているわけだが、この表現方法は中盤において変化する。「威張んなの漁夫」「学生」など、肩書ではあるものの個々人を識別するための名前が付けられるのだ。
しかし、そうしたネームドキャラによる団結は、ネームドキャラの一掃という形で失敗に終わる。この結果を学んだ労働者たちは、文字通り「全員が」一致団結することによって二回目のストライキを成功に導く。
一見ハッピーエンドのように見えるものの、名前を獲得した人物が、ストライキという団結のもと、再び没個性へと陥ったことにならないだろうか。替えの利く存在としての残酷極まる仕打ちに抵抗したところ、名前は不要だということが結論付けられたジレンマのような終わり方に、ネオリベ社会を生きる私はどこか怖さを感じたのだ。
とはいえ、段階の違いのような気もする。蟹工船での仕打ちは明らかに倫理にもとる。ゆえに団結し、労働者としての権利を取り返す。その後にようやく、労働者ひとりひとりに名前が付けられるのではないだろうか。自分でテーマを提起して、自分で反論しているが、なんかそんな気がする。
とまれ1929年に本作が書かれたという事実には言葉にならない凄みがある。帝国主義が勢いを増す社会のもとで、本作のようなプロレタリアートを屹然と発表する姿勢には、身につまされる思いになるところもある。先の衆院選での自民大勝に係る独りよがりな政権運営に対して、モヤモヤするところは数多あるのに、声を上げずに静観しているからだ。小林多喜二のような作品を書けるかはわからないが、私なりの声の上げ方、表現方法は模索したい次第である。
追記(26.3.1)
蟹工船の読書会がかなり良かった。語っても語っても作品のボロが出ず、むしろリーダビリティと物語とメッセージ性を高いクオリティで備えている良作として、より好きになっていく。
確かに、労働者がロシア人に救出されるまでは描写の連続で読みづらい部分もある。ただし、当該箇所でも蟹工船の生々しさや、風景の表現は卓越しており、読み返すうちに段々と味わいが増していくのだ。納豆の雨しかり、ノンフィクション / フィクション両方の表現(わかりやすさと叙情のトレードオフ)を兼ね備えているので、中々どうして癖になる文章である。
それから、参加者の「1回目のサボも、2回目へとつなげたのだから成功と言える。行動し、次へバトンを渡すことこそが成功であり大事」という意見が胸を打った。私はある程度行動主義に傾倒しているところがあるものの、失敗と思えることさえも成功だと言い切るその姿勢は、ポジティブを越えた気骨がある。蓋し、認めがたいものを認めることは苦しく、疲れるからだろう。それを乗り越えた言葉は、端的に、かっこいいのだ。
調子に乗りすぎないように注釈しておくと、そもそも内容が私好みだから、読書会も楽しかったということもある。右寄りの参加者の本作への態度はおしなべて否定的だったし、思想信条によって印象は大きく異なる。「好き=良い」として評価と感情が一緒くたになるのは芳しくない。努々、気をつけたい。
