感想
つい昨日、茨城は水戸の弘道館に足を運んだ。100名城のスタンプをゲットすることが目的だったが、徳川斉昭の「一張一弛」の思想に触れて、望外の感銘を受けた。日本が近代化するよりも遥か昔に、しかも世間一体が貧困化する中で、それでも教育と文化の重要性を信じて弘道館と偕楽園を創った斉昭の姿は大きく、昨今の内憂外患な情勢において勇気づけられるものとなった。
この経験は本書で言うところの「死者とともに生きていく(p.89)」ということなのだろう。本書では、憲法やそれが規定する基本的人権を、「死者たちの努力の成果(p.88)」と説明する。私が教育と文化を大切に思えていることもまた、徳川斉昭などの死者たちの努力が現在まで続いているからであり、死者ひいては歴史とともに生きていくことの重要性を示唆している。
重たい、しかし、安心もする。何千年もの歴史の中で蓄積された経験値を背負うことは、その中身を知れば知るほど重みを増していく。同じ失敗を繰り返さないよう、死者は常々生者に忠告しているわけで、誤った道に行かないことへのプレッシャーがかかる。ただし、そうして背負う死者のおかげで、拠り所を得られるところもある。私はたったひとりでぽつねんと浮かぶ存在なのではなく、数多の死者の糸に繋がった確固たる存在であると信じさせてくれるのだ。
政治とはやはり、「自分ごと」から始まるのだろう。衣食住、趣味、仕事、なんであれ「「日常の生活」を見つめ直す(p.59)」ことによって、自ずと課題と死者の姿が見えてくる。右だ左だのと抽象的な話ももちろん大事ではあるものの、「自分ごと」たる「日常」を政治と接続することによって、新たな発見があり、よりよくなっていくのである。
弘道館は、藩校でありながらも、一般にも開かれている。徳川斉昭はもしかすると、「自分ごとの政治学」を理解していたのかもしれない。政治は自分ごとから始まる。そして勉強することによって自分ごとが死者と繋がり、新たな景色が見えてくる。だからこそ、身分に関わらず誰しもが「自分ごと」と思えるように、教育に力を入れたのかもしれない(昨日展示で学んだだけなので、ほとんど想像で書いているが)。
最近政治に関連する本を読んでおり、目新しい学びはそう多くないと思っていたので、予想外の感動に出会えてすごく嬉しい。もちろん保守やリベラルの解説も面白く、「保守主義とは何か」「リベラルとは何か」の復習になっただけでなく、両概念は対立していないのでは?という疑問を解決することもできた。しかしそれ以上に、政治を学ぶことの意義を改めて見つめ直すことができ、自信にもなった。それはちょうど、弘道館に励まされたのに近い感慨である。
こんな世の中だからこそ、政治をしっかりと勉強したい。そして、他者と話し合い、より良い道を模索したい。本書はそのための自信とヒントがたくさん詰まっており、2時間で読みきれるものの、何回も、何時間も読み返したい内容となっていた。昨日買った徳川斉昭の本も、積まずに読もう。私には、死者から学ばねばならないことが山ほどあるから。
