木曜組曲
恩田陸(1999)
徳間書店
要約
4年前に自殺した大作家、重松時子には4人の親類縁者と1人の親しい編集者がいた。彼女たち5人は、時子が亡くなってから彼女の住んでいた「うぐいす館」に1年に1度集まり、故人を偲ぶ会を開いている。ところが、今年の集まりはいつもと違っていた。時子の遺作に登場するキャラクターを名乗る者から花束が届くことに端を発し、様々な違和感が積み重なっていく。時子は本当に自殺したのだろうか?5人が秘めていた想いが第三者視点で語られる戯曲的密室サスペンス。
感想
日曜朝一番のちょっとした読書タイムのつもりだった。休日の予定を全て狂わせる恐ろしい作品だった。
ストーリーテリングの実力が桁違い。特に、1)情報統制と2)緩急が絶品で、読者である私の情緒を作品世界にぐいんぐいんと引きずり込む魔法のような力がある。以下これら2点と、作品の結末の妙について語っていく。
まず1)情報統制について。
作品の1文字目から最後の1文字まで読者の作品への興味が尽きないように、作中で公開される情報が絶妙な匙加減でコントロールされている。そのため、読者は常に頭のどこかしらに謎を抱えたまま5人の女性の会談を伺っていく。この何かしらの謎が頭にあるうちは、それを解決するために1頁また1頁とめくらないと気が済まなくなってしまう。
また、情報の公開の仕方も鮮やかである。まるで舞台で演技をする役者にスポットライトを当てるかのようで、公開される情報1つ1つにどこか妖艶な魅力があり、惹きつけられる。
そして2)緩急について。
先ほど読者は謎を抱えながら読むと書いたが、この謎は定期的に解決される。そしてまた新たな謎が生まれる。この謎と解決、それぞれへの緊張と緩和の書きぶりが見事で、3人称で全体を俯瞰するように描かれているにも関わらず、自分自身もその場に居合わせたかのような質感で物語世界に浸ることができる。
最後に、この物語の結末について。
この作品は、血縁関係(またはほとんどそれに近い親しい関係)にある偉大な作家の呪縛から解き放たれる物語であるとともに、「作家」というより大きな枠組みからは逃れられない宿痾を抱えた物語でもある。
5人の作家・編集者たちは、時子という大作家を基準に文章を綴っていた。しかし作中で、それまで抱え込んできた鬱屈を発散することにより、照準を時子でなく自分自身に合わすことができるようになる。守破離でいえば「破」の部分が描かれていると言える。
一方で、時子が自身の死後もなお残そうとした文筆家としての血液は、時子という呪縛から解き放たれたことでむしろ濃くなっていく。この「時子」と「物書き」の2つの呪縛に読者も巻き込まれ、情緒を揺さぶられるからこそ、私は休日の予定を急遽変更してこの作品を一息に読み切ったのだと思う。
いや~、すっごいね。
余談:
猫と針に構成が似ているとうっすら感じた。猫と針自体3,4年前くらいに読んで記憶があやふやなのでなんとも言えないが、こういう戯曲的密室サスペンスは恩田先生の得意とするとこなのかもしれない。憧れちゃう。