愛するということ
エーリッヒ・フロム(1956)
鈴木昌【訳】
紀伊国屋書店
要約
愛は誰にでも扱える代物ではないと主張し、「愛する」という行為とは何であるかを論じる本。冒頭で注意されているが、「愛される」ということでなく「愛すること」に焦点が当たっており、愛した結果について言及されることはない。あくまで自身が能動的に起こす「愛する」について述べられている。また、「愛する」を実践するために何をすべきかという方法論や、「愛する」という行為が実現されうる社会環境についても述べている。
感想
人間、心に矛盾抱えすぎていて生きるだけでハードモードすぎる。(名著でした)
例えば、本書で論じられる本質的な「愛するということ」を実行するためには、まず自分自身が個人としてどこまでも孤独であることを理解する必要がある。つまり、「(誰かを)愛するということ」という少なくとも他者がいないと成立しない行為の底には、他者を排斥する孤独が存在するのである。
これは矛盾している。本質的に人間は孤独から脱することができないと理解した上で他者を愛さなければ愛ではないと言っているからだ。無茶苦茶である。
しかし、矛盾していながらも彼の綴る文章には確信があり、実際私はフロムの言説が確からしいと感じている。
とはいえフロムのいう「愛するということ」を実践するには精神が相当に成熟している必要があると思う。私は本書を1回通読して、3割も理解できなかったと思う。何度も何度も読み返し、経験を重ねてようやくたどり着ける境地であり、そのほど遠さを少し知れただけでも大きな成果のように感じる。
……
ここまで書いてきて私は憤懣やるかたない悔しさを痛感する。
めっちゃありきたりな文章しか書けない。
この本は名著である。それは絶対である。
そして、この本が私の心へ与えた影響もかなり大きい。私は、私の心が大きくうねり、変化していくのをリアルタイムで感じていた。言われたらそうだよな、と思えるような文言ばかりだったように思えるのに、私の心は大きく突き動かされた。
この心の変化を文章に落とし込みたいのに、ぜんっぜんうまくいかなかった。中途半端なビジネス書くらいつまらない文章しか書けなかった。あまりにも悔しい。愛することだけじゃなく、文章力も磨いていかねばならない。
いやほんと悔しい。