わたしたちが光の速さで進めないなら

わたしたちが光の速さで進めないなら

キム・チョヨプ, カン・バンファ, ユン・ジヨン

早川書房

感想

壮大な設定と素朴な読み味がたまらない。テッド・チャンが、突飛な設定によって常識と思われていた人間性を覆すように揺さぶっているとするならば、キム・チョヨプは人間の遍く情動に共感という大きな揺さぶりをかけている。本作を通して価値化が変化するようなことはない。しかし、本書は確実に、読者の心を温かくほぐしてくれる。

短編集の本作に通底しているのは、紛うことなき「愛」であるが、私は度々この「愛」が果たして本当に素晴らしいものだろうかと、疑いを持つことがある。愛が人間であるための条件だとするならば、他者に溢れるほどの愛を持てない私は、どこかしら欠けているのではないだろうかと悩むのである。

そんな悩みを抱えている私でも、本書の「愛」は心に深く染み入るように感じられる。それはなぜか。登場人物たちの想いが、切だからである。私は愛の何たるかを知らない。共感力もあまり持ち合わせていない人間であるが、本書の登場人物たちの希求する想いの強さ、愛の大きさは、著者の素朴な筆致からありありと伝わってくる。たとえ私が共感できなくとも、彼ら彼女らにとってはどうしても必要なものであると理解できる。ここに、本作の凄みが垣間見える。

結果的に、本書の短編はどれも示唆に富んだものとなっている。なってしまっている。しかし、それはあくまで作中の登場人物たちが自身や他者と向き合った過程で、自然と育まれた感情であり、そこに意味を見出しているのは読者による後付けの解釈に他ならない。彼ら彼女らはただ、想ったにすぎない。考えたにすぎない。諦めなかったに過ぎない。目を背けずにいたにすぎない。その行動と思考の痕跡に、読者たる私が意味を見出し、心を大きくゆっくりと揺さぶられているのである。

言い換えれば、本作では著者の姿が全くと言って良いほど見えないということでもある。7つの世界がただそこに存在し、読者がそれを観測しているような状況とも言える。それほどまでに本書の作品群は完成されていて、磨き上げられた宝石のように、純朴に輝いている。そのため、宝石を手にとって眺めるように、何度でも、何度でも読んで、その美しさを堪能することができるのである。