恥辱
J・M・クッツェー, 鴻巣友季子
ハヤカワepi文庫
感想
頭でっかちで高慢なヨーロッパ中心主義の鼻っ柱をへし折るような作品。徹頭徹尾ウィリアムの振るまいが不快な一方で、学識はあっても知性がないという点には、身につまされる思いになるところもある。いくらたくさんの詩歌や文学を引用しようとも、それらを意に介さない社会や秩序は確実に存在しているのである。
ただ一方で、こういう感想を持つのは、私が男であるからというのも大きく関係しているように思える。男女と二分して大雑把に考えるべきではないというのは重々承知の上で、本書を読んだ女性がどのような感想を持つのかが気になるところではある。おそらく、デイヴィッドを幼稚に感じるのではないだろうか。本書丸々一冊をかけて学ぶことを、「何を今更に」と思うのではないだろうか。
とはいえ、本書にて描かれる南アフリカの治安は、(あくまで日本に住む私の感覚としては)あまりにも悪い。隣人を傘下に引き入れるために、強姦して孕ませるというのは、あまりにも暴力的で、個人ひいては女性という存在が途方もなく蔑ろにされている。デイヴィッドが高慢なあまり、ルーシーの主張が的を射ていると錯覚してしまうものの、流石に治安が悪すぎる。
もちろん、「生存の継続」を第一の目標として、それ以外を二の次、あるいは埒外のものとして考えるのであればルーシーの生き様が最適解なのだろう。しかし、令和の東京で生きる私にしてみれば、もはやそのような考え方をするには遅すぎると思ってしまう。が、しかし、そう考えるのもデイヴィッドの言う「年を取り過ぎた」に当てはまってしまうのだろうか。どのような社会に生きる人間であっても、「郷に入っては郷に従う」精神で新たな価値観を学ぶことができるのだろうか。
ここまで感想文を書いてきて、何が何だかわからなくなってきた。価値観を根底から揺らがされるという、著者の術中に見事はまってしまったようで、大変悔しい。流石ノーベル文学賞を受賞した作家の作品だけあり、筆力のある重厚で読み応えのある作品だった。