読書会の教室

読書会の教室

竹田信弥,田中佳祐

晶文社

感想

 読書会を主催するので、読書会について学ぶ第2弾(第1弾)。

 今回の学びは、大きく分けて1)志向性と2)ファシリテーターの2つである。

 まず1)志向性について。本書では、「どのような読書会をしたいか」というテーマが心に残るほど、読書会の多様性について考えさせられる内容だった。というのも、読書会主催者である著者が、複数人の読書会主催者と対談しているが、その目的や志向性はばらばらなのである。学びの場としての読書会を志向する人もいれば、交流の場としての読書会を開きたいと考えている人もいて、それによってそれぞれのポリシーは全く異なってくる。

 では、私はどのような読書会を所望しているのだろうか。周りにそそのかされて主催したので、全く判然としない。現時点でぼんやり考えているのは、わいわいがやがや・明るくからっとしたお喋りの場を創りたいということである。私はお話教信者であり、内容度外視で会話を楽しく続けることで、ほぐれていくものがあると信じている。悩みそのものを話さなくても、どこか心が軽くなるような、そういう場を目指していきたいと考えているのだ。

 それから2)ファシリテーターについて。「読書会はファシリテーターが九割(p.163)」という言葉を中心に、時間配分、ターンテイキング、場回しなど、主催する上で気を付けておくべきことがたくさん書かれている。これが今の私にとってかなり有難く、めっちゃたくさんメモを取った。

 中でも印象的だったのは「場を和ませて話しやすい雰囲気づくりを(p.89)」という一文。読書会によってはびっくりするほど話が弾まず、頻繁に沈黙が場を占めるものもある。もちろんそういう落ち着いた会を好む人もいるだろうけれども、私としては、良い意味で言葉があまり意味を持たないくらいたくさんお喋りする空間を目指したい。多孔的で、たくさんの言葉が自己を通り抜けていき、その後に得も言われぬ暖かい感覚が残るような、そういう会を開けるように、雰囲気づくりを頑張りたいのである。

 本当はもっと引用したい文章がある。他の読書会でも聞く「テキストの下の平等(p.158)」や、「銭湯デモクラシー(p.171)」など、挙げればキリがない。とはいえ、全てに共通することが一つ。自分の居心地の良い空間であるか、ということだ。まずは自分が楽しめないと、会の雰囲気も良くならない。本書を読んで、これしなきゃあれしなきゃと多少の焦燥を感じていたけれども、自分が楽しむということは忘れないようにしたい。