言語化するための小説思考

言語化するための小説思考

小川哲

講談社

感想

 小説ゾンビにとって大切なのは、どの観点にも「自分の価値観」を加えないことだ。Aという小説が売れたら、あるいは世評が高かったりして、かつ自分にはどこが面白いのか理解できないのなら、Aという小説を支持する読者と自分の間に、何らかの価値観の相違が存在していることがわかる。小説ゾンビが本当に興奮するのはこの瞬間だ───そこにはまだ、自分の知らない「小説」があるのではないか。

pp.118-119

 小川哲、面白い。最初は、帯で絶賛されるほどの本なのか疑わしくなるような「まあそうだろうな」くらいの内容だったのが一変、後半は少しずつ様子がおかしくなり、小説ゾンビとしての本性が顕になってくる。そこには、面白い小説のためなら平気で矜持や価値観を捨てられる一種の狂人が出版業界という荒野に立っていたのである。

 タモさんとか、オモコロのARuFaさんとか、ゆる言語ラジオの水のさんとか、こういうタイプだよなあと思い出す。冷静に狂ってる人。面白さのために何でも差し出せる人。ややともするとサイコパスな、ダークサイドに落ちてないことが奇跡的な人たちである。私も彼らのような境地に達したいし、達さないと面白い小説なんて書けないような気がしてくる。

 ところが幸いにして、本書は小説を書くモチベをぐんぐん上げてくれる内容でもあった。印象深いのは、「一人の人間が机の上で頭を抱えて出すことのできるアイデアなど、面白い小説になりようがない(p.92)」という一文。一見すると厳しい言葉にも思えるが、むしろこれは誰にでも面白い小説を書ける可能性があることを示唆するものでもある。

 特に私は最近、自身の文章力のなさに打ちひしがれて創作モチベの下がっていたので、この一文によって、もっと頑張ってみようと素朴に奮い立つことができたのである。平凡で特徴のない人生を送っている私にも、面白い小説を書くことができるかもしれないと、思い直させてくれたわけだ。

 このように本書は、面白い小説を書くための創作論と、小説ゾンビ小川哲の生態の2つが軸となって交錯する、狂気入り混じる小説指南書となっている。小説を書く上でも、読む上でも面白くて、付箋をつける手が止まらない。再読に耐えうる内容になっており、隔月くらいで読み返したい一冊だった。

 めちゃくちゃ読めて良かった!!!